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ヒラフの根源

By 29th November 2019

1961年、 ニセコ初のリフトが動いた。 J.F.ケネディ米大統領が就任、 ベルリンの壁が築かれ、 旧ソ連が有人宇宙飛行を始めた― そんな時代だった。

日本の戦後復興が最盛期を迎えた1950年代後半、ある企業が、ニセコ・ヒラフ地区の原野に生い茂っている「チシマザサ(千島笹)」に目を付けた。積雪が少ないスキーシーズンの初め、雪面からひょっこりと顔を出している、あの草だ。この企業は、植物繊維を熱圧加工して製造する「ファイバーボード」(繊維板)の工場を建設し、その原料にニセコの「笹」を使おうと計画した。当時、均質で加工も容易な繊維板は、ブラウン管テレビ背面の放熱板をはじめ様々な需要があった。ヒラフ地区の最初のロープウェイは、実は、収穫した笹を運搬するために作られたのだった。

ところがその建設中に成型木材の国際競争が激化。この計画は完成を待たずに頓挫してしまう。

地域産業の危機に直面し、行動を起こしたのが地元のスキーヤーと議会関係者だった。彼らは笹運搬用のロープウェイをスキー用のリフトに転用し、ヒラフをスキー場の開発地として売り出そうと計画した。機運を盛り上げるため、全日本スキー選手権大会の開催候補地にも名乗りを上げた。

開催地を勝ち取るには、スキー用チェアリフトの設置が不可欠だった。繊維版メーカーもロープウェイの転用案に賛同し、半年後にはニセコ地域初のスキー用リフトが、現在のウェルカムセンター駐車場沿いに完成した。

翌年、念願がかなってスキー選手権大会が開催され、地元の農家は選手たちを心からもてなした。こうして、ヒラフ地区の人気が高まると、スキー客が泊まる旅館が次々と建設されていった。

地元の農家が丹精こめた新鮮な食材を提供するのは、当時も今も変らない。そして、その後のヒラフの発展は、皆さんご存じのとおりである。

写真;建設が進むニセコ初のリフト
提供:ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

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